2009年10月25日

気がつけば4年前へと後戻り

 完全に「政治」決着が働いた形だ。

 新聞各紙は「官から民へ」のお題目を唱えるばかり。

 一連の報道で視聴に耐え得たものはNHKだけであった。

 後戻りといわれているが、報道機関は4年前から進歩なしである。

 悲しいかな、「民意」などは存在しないのである。

2009年09月10日

民社国政権・・形ばかりの地位協定見直し


 選挙結果はマスコミの大勝利でしたね。一年前から朝日新聞が政権交代を喧伝していただけあります。

 政権交代可能な二大政党制・・今マスコミが反省しているのは民主党を勝たせすぎたことでしょうか。まだ、新自由主義は盤石なものとなっていませんしね。

 しかし、今回の選挙は小泉政治にNoを突き付けたというよりはその延命治療ということになるのでしょう。何よりの証拠に、マスコミの新自由主義論客は選挙後も相も変わらず脱官僚・地域主権を絶叫しています。

 前回は「郵政たたき売り選挙」、今回は「擬似政権交代選挙」。マスコミは「地方分権選挙」を看板に持ってこようとしましたが「そのまんま東」があまりに役立たずだったもんで国民に浸透しませんでした。

 自民党は崩壊するでしょう。少なくとも、かつての自民党には戻ることはないでしょう。小粒な「改革派」が散々喚き散らして総裁のイスを軽くしたうえ、そのまんま東につけいれられるような政党にだれが投票するのでしょうか。

2009年08月05日

新聞は無くならない!?

 生まれてこの方朝日新聞一筋でしたが、最近になって日経新聞も取るようになりました。朝日は一面がカラーですが日経はモノクロ、また日経は一般書よりもビジネス書の広告が多いなど、違和感を感じる部分もあります。学生の私は経済に関しては門外漢なので(ヨパの授業で読めるようになったと某氏は言ってましたが)、総じて良くわからないというのが正直なところです。

 さて、言い訳ではありませんが、日経新聞より朝日新聞の方が読み応えはあります。最近は薄くなる一方ですが、朝、ニュースを叩き込むのに好都合。政治的にリベラルなので座標軸としても機能しています。朝日新聞の意見=日本の多数派の意見とも言えましょう。ただし、郵政民営化・道州制の旗振り役であることは見逃せませんが。

 一部の新書では新聞は20年後に無くなるなどと言った関係者には耳の痛い話がまことしやかにささやかれていますが、私はそんなことは断じて無いと思っています。
 簡単に言えば、紙の利便性でしょう。ネットは便利なように見えて一度に見ることのできる量は限られていますし、スクロールが面倒であります。新聞はパラパラめくれて折り曲げることでサイズも自由自在。
 今、ネットに新聞がとって代わられるというのは、紙の小説が全てケータイ小説にとって代わられるというくらい愚かな見識でしょう。

 メディアの電子化はアナログ化と矛盾無く進行します。電子化が、アナログの重要性を高めるのです。
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2009年07月26日

これが、「本物」のオーラか。

 今日、街宣カーが民主党の演説会の開催をしきりに宣伝していたので、ちょっくら見に行ってみました。

 序盤は選挙区の候補者の演説で正直退屈ではありましたが、生の菅直人の演説を聴けるだけでも意味はありました。

 菅直人代表代行はさすがは民主党で唯一前回東京小選挙区で勝利したカリスマだけあって集客効果は抜群。演説の内容も聞き応えのあるものでした。「皆さんと一緒に政権交代しようじゃありませんか」しか言えない鳩山代表とは違い、苦労人だけに聞いていて切実さを感じます。




 以前はよくテレビを見ていたのですが、4月改変以降はニュースぐらいしか見たいものがない気がしています。

 TBSは民放の雄と呼ばれる名門テレビ局でありましたが、改変以降テレ朝に抜かれ、スポンサー離れは進み、番宣番組は増加し、そして視聴者離れも進むという負の連鎖に完全にはまり込んでいます。

 そしてどの局のドラマも平板でまた演出が嘘くさいので何一つ見ていません。金10・土9はジャニーズ枠になってしまっています。

 いい加減、テレビも本腰入れないとビジネスが崩壊してしまうのでは。唯一存在が公的なNHKは別として。

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2009年07月24日

果たして鳩山総理の資質は如何に

 今回の民主党のマニフェストは岡田幹事長が中心となってまとめたようですが、鳩山代表はどうしたのでしょうか・・

 そこで興味深い動画がありましたので載せておきます。NTVのNEWS ZEROです。

  

 さすがに「愛をミックス」と「地域に任せる」あたりは失笑を禁じ得ません。これではマニフェスト作成で岡田氏にイニシアチブをとられるのも頷けます。

 要するに民主党が描く国家像とは、徹底的な行政改革の後に道州制で、小さな政府に徹する・・そういうことでしょうか。財源だの何だのは気にせず、額面だけ借金を減らせば、国家が健全になるとでも考えているのでしょう。それで弱者が切り捨てられたとしても。

 やはり民主党の暴走を食い止めるためには参院での国民新党の良識ある判断を期待するしかなさそうです。

 下手したら衆院の小選挙区で社民は全滅しますよ。この状況は。

2009年07月22日

選択なき「政権選択」選挙

 19日のサンデープロジェクトで民主党岡田克也幹事長は小泉改革は基本的に正しかったと述べたそうだ。私自身は確認していないため、いかなる文脈での発言か察しかねるが、政権交代が間近に迫り、つい気がゆるんで本音が漏れたということか。

 結局民主党も小泉路線を踏襲するということであり、政権交代と雖もアメリカ的新自由主義の基本路線は変わらないということだ。

 もともと期待はしていなかったが、ここへ来て不安に変わりつつある。せいぜい公明党が連立から外れることしか役割は見いだせそうもない。民主党は官僚打破を掲げているが、安倍政権のように返り討ちに遭うのが関の山か。
 むしろ小泉政権下で優遇しすぎた高額所得層に負担を求めるのが当然の行動ではないか。少なくとも、累進構造を23年前の水準に戻すことが今の格差を軽減し、社会保障の安定に寄与すると思われる。

 今回の選挙はマスコミがこぞって「政権交代」を絶叫し、「みのもんたの朝ズバッ!」でも共産党議員はほとんど発言の機会を与えられず、発言を岸井成格がへし折り、いかに正論を言おうとも、「異端政党」のレッテルを張ろうとの演出が見え透いていた。
 私は共産党を支持するわけではないが、正論がマスコミにより異端扱いされる現状に幻滅し、二大政党制による争点隠しに強い危惧を抱く。その点からも、日本には小選挙区制より、中選挙区制がふさわしいと感じる。今回の都議選の結果が民主的な議論を保ちうるものになったのも、中選挙区制のおかげであり、小選挙区制では民主党の独裁となり、議会は数の論理による学芸会に成り下がると考えられる。

2009年07月16日

自民党内における新たな潮流・・総総分離

 7/12の都議選で大敗した自民党内では解散に先立って「麻生おろし」の動きが本格化している。

 急先鋒として連日メディアをにぎわすのは中川秀直・武部勤・加藤鉱一あたり。何より、民放各局は都議選敗北の当日から「麻生おろし」の大合唱が始まっている。

 ネット上では「売れないラーメン屋が味は変えないで看板を付け替えようとしている」と評しているが、まさに言い得て妙といったところ。

 ところが民主党には「政権交代」のワン・フレーズしか武器がないから、仮に口達者な外添要一が総裁となった場合、「政策論争」でドローに持ち込まれる可能性が高くなる。
 つまり、擬似的な「改革」の旗印によって無党派層は都議選とは逆のベクトルに投票行動をとることとなる。

 今の時代、「改革」といえば全ての議論は灰燼に帰す。既に我々は経団連の用意した「大きな物語」に乗せられているようである。すなわち、「自由競争」である。橋下徹も猪瀬直樹も、こうした流れの旗振り役として一役買っている。

 地方分権が争点ではない。争点は貧困・社会保障である。小泉政権下において非正規雇用は増加し、所得格差は目を覆いたくなる有様である。もはやかつての日本の面影はなく、一億総参加型の「ゼロサムゲーム」、すなわち「バトル・ロワイヤル」が展開され、「自然状態」という絶対的秩序の元に我々は人間性・共同性ともども失いつつある。

2009年06月12日

これも人間理性の限界か。

 1限は保健。アンケート結果の発表。質問したからには当然その質問の意義を説明する責任があると思うのですが・・わざわざ質問するのも面倒だったので控えましたが、「あなたはブリーフ派ですか、トランクス派ですか」というのは何の意味があってしたのでしょうか。ブリーフ派はマイノリティであることを示したかったのでしょうか。私は予想以上にトランクス派が多くて驚きました。下着の種類なんて人それぞれでいいと思うのですが、日本人の気質でしょうか、一つの側に偏るようです。(どうでもいいですが、母親を基準にするっていうのはなかなかですよ)

 2限は情報。これは、ほとんど聞いてません。
 3限は現代文。朝生の田原総一郎と西尾幹二のような激論が交わされていました。私の見解では、観点の二重化・規範文法の概念の何れが先に生じるかは判定不能です。自分と異なる観点の他者を認識することにより、観点の二重化が生じ、それが規範文法の概念つまりその世界の意味秩序の理解に結びつくとも言えますし、逆に、規範文法の概念を他者に条件付けでたたき込まれて、初めて自分の行動を評価する観点、すなわち観点の二重化が生じるとも言えます。つまり、どちらの議論ももっともらしく聞こえ、まさに「ニワトリが先か卵が先か」の袋小路に追い込まれているのではないでしょうか。カントの言うところの「アンチ・ノミー(二律背反)」という奴です。
 もっとも、私のような懐疑論者からすれば、観点の二重化そのものに疑問が投げかけられます。すなわち、他者の観点といっても、結局は「主体」によって解釈された「主観」に過ぎないのでは。私が他者の観点に立つことなど、不可能ではないか。そうなると、客観そのものが怪しくなり、全ては、「主観」というフィルターを通して認識・解釈・抽象されたものに過ぎないのではないか。しかし、こう言ってしまうと私の「主観」と他者の「主観」の間における合意形成がなぜ起きるかが説明不可能となるため、カントが人間理性における対象の認識モデルを提示し、フッサールが間主観的という概念を用いて理論武装していく・・らしいのですが今の私には理解できません。

 現文を書いていたら疲れたのでこの辺で・・では。
posted by GAO at 23:25| Comment(1) | TrackBack(0) | 保健 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月10日

いつの間にか分かりやすくなっていた。

 今日は朝練でしたが遅刻してしまいました。申し訳ない。大分完成度が高まってきたと思います。自分はまだ最高音を保てていませんが。

 1・2限は化学。有機化学は比較的分かり易いのですが、時折、睡魔が襲い掛かってきました。また、ムカデが発生するという異常な事態も。

 3限は漢文。性格と頭が何かと話題になる方ですが、授業は分かりやすく次第点。

 4限は数B。中学時代と比べ、面倒見が良くなっています。授業時間が週1なのが惜しいほど。

 というわけで帰宅。まるでサラリーマンのように地味な1日でした。こうした一日を過ごしていると段々と身の内話しか出来ない主婦のようになってしまいそうです。やはり、読書は欠かせません。




 水曜ノンフィクションは先週放送で打ち切りとなりました。以前紹介したように、本格ドキュメンタリー路線を目指してゴールデンに配置されたのですが、いまひとつ内容に深みがなかったようです。この辺りが、今のTBSの限界を示しているのでしょうか。

 最近は月刊誌の廃刊・休刊が相次ぎ、出版不況を感じさせます。ネットが原因とのことですが、私はフリーライターの永江朗氏の仰るように、月刊誌自体に魅力が感じられないのが原因だと思っています。
 書き手が古いことや、冷戦後に熾烈なイデオロギー対立というものがなくなってしまったことも原因でしょう。

 メディアのあり方が見直される時期なのかもしれません。
posted by GAO at 21:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月09日

<現代日本の危機>未来のことよりも今が大事、国全体が自転車操業

 政治とは、何なのか。経済とは、何なのか。これに答えることは容易ではない。ある人は「政治とは友愛である。」といい、ある人は「政治とは、他者を受け入れることである」という。しかし、政治にしても経済にしても決して忘れてはならない基本理念がある。それは、「弱者のため」になされるものという点である。
 強者に政治はいらない。なぜなら、強いものが生き残り、子孫を増やすことは自然が立証している。しかし、弱者は政治がなければ強者に打ち負かされてしまう。弱者は、近代における立憲主義が確立することによって初めて生存権が政治的に保護され、ようやく政治がその本来の意義を果たすこととなったといえる。

 しかし、現代日本では、その根底理念が覆されそうになっている。というのも、政治の表舞台に立つ人間が、鳩山一郎の孫と吉田茂の孫であり、彼らが楽しそうに党首討論をしているのを日本中の国民が当たり前のように茶の間で見ているのである。
 考えてみれば、政治家というのは資格もなければ才能も必要ない。しかし、我々多くの人々は、政治家は特殊な職業と思って見ているのではないか。

 「政権交代」なることが声高に叫ばれている。「政権交代」すれば、まるで万事解決するような言い方である。多くの国民は困窮し、政治が混乱している。すると人々はその状況を抜け出さんが為、キャッチーな政治言語に吸い付くようになる。それは8年前の「構造改革」も同じだった。「構造改革」すれば万事解決する。我々はそこに夢を見た。そして政権を小泉純一郎に託した。そして今見ているのが派遣村の地獄である。
 私は8年前も今も、政治言語によって導かれる未来を期待していない。私は小沢信者があれほど無邪気に「政権交代すれば万事解決する」という幻想を抱いていることが理解できない。私は彼らが話す政権交代への期待を冷ややかに聞いている。
 果たして15年前の政治改革とは、このレベルの二大政党制を目指して行われたものだったのか。

 私は解散総選挙で自民・民主のどちらが勝つかということには全く興味がない。どちらも政治哲学は同じであり、違いはかつての自民党内の派閥間よりも小さい、微々たるものだからだ。来たるべく政界再編に向けて、政治哲学を持たない有象無象が永田町でせわしなく動いているのが連日マスメディアで報道される。そうした報道に出てくるのはいつも決まった人間であり、節操のない姿を公衆にさらしている。
 自民党内の改革派と呼ばれる連中を私は嫌悪する。彼らは口先では偉そうなことをいいながら、何も行動していない。重要な場面ではおろおろと付和雷同で、全く責任感というものが欠けている。彼らは有権者の前では改革派を気取り、裏では大物議員に寄り添い、閣僚ポストの勘定でもしているに違いあるまい。そういう連中が、首相になったら、今の首相以上の醜態をさらすこととなるであろう。
 しかし、メディアはそういう連中を持ち上げ、民主党と同じように、政治を変えてくれる存在かのように報道している。カップ麺の値段も知らない苦労知らずの世襲貴族の「改革派」が、どうして今の日本の弱者を救い、この国の格差を是正できるのであろうか。
 メディアは彼らを「改革派」などと紹介するのをやめた方がいい。正しくは「世襲貴族・封建派」である。

 現在の民主党も自民党も政策理念は「新自由主義」であり、言い換えれば、自己責任・市場原理主義である。
 そこには政治の基本理念である弱者への配慮が全くもって欠けている。それは、政治家自身が世襲であるか、ブルジョワジーであることにより、そういう立場によってしか世界を捉えられていないことに起因している。日本は「改革派」の喜ぶ「政権交代」可能な二大政党制の誕生により、封建制へとまた一歩近づくこととなる。ここから真の地獄が始まる。我々は黙ってみているしか手がないのか。
 
 
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